伊藤赤儘(五代・伊藤赤水)先生からのメッセージ
佐渡で生まれ育ったことで 佐渡にこだわり、佐渡をこの上なく愛し、そのことは佐渡を創ることです。
無名異焼は、佐渡金山と深い関わりを持ちながら、1819年の誕生以来、二百年以上の歴史を刻んできた焼き物です。佐渡の大地が育んだ無名異という土を原料に、時代と共に変遷しながらも、底辺に流れる本質を守り続けています。作品を選ぶ際は、作家がその人にしか表現できない個性を大切にしていることを感じていただければと思います。
無名異焼作家 伊藤赤儘(いとう・せきじん)先生について (重要無形文化財「無名異焼」保持者)
出典:「世界に誇る物語ちゃんねる」公式YouTube/佐渡独自の技法「人間国宝(無明異焼)五代目 伊藤 赤水先生」編
伊藤 赤儘(五代・伊藤赤水)先生は、新潟県佐渡市相川を活動拠点とする陶芸作家です。佐渡金銀山の鉱脈から採れる無名異(むみょうい)という土を素地に用いた「無名異焼」の手法で、独自の表現を追求し続けています。メトロポリタン美術館、スミソニアン博物館、ビクトリア&アルバート美術館といった世界的にも著名なミュージアムに作品が収蔵され、国内外から高い評価を受けています。
佐渡と無名異焼の歴史
佐渡島は、約300万年前の火山活動によって形成された険しい岩肌と豊かな鉱脈を抱く自然豊かな島です。なかでも佐渡市相川地域は、かつて佐渡金銀山の繁栄に彩られ、現在は観光地として独自の文化を育んでいます。
赤儘先生が手掛ける「無名異焼」の最大の特徴は、原料である「無名異土」。無名異とは土の名前で、佐渡金山の坑道に地下水が流れることで少しずつ生成されたものです。なお、江戸時代には各藩から幕府に名産品が献上されましたが、佐渡からは無名異が献上されたそうです。というのも、当時の無名異は医薬品として用いられており、漢方医学では中風(脳出血)に効くとされ、止血や痛み止めに効く万能薬として珍重されていたという背景があります。
江戸時代、佐渡は金の採掘で栄え金山奉行が置かれていました。役人たちがもたらした茶道や華道の文化を背景に、1819年、幕府への茶道具献上のため伊藤家7代・甚兵衛がこの無名異土を用い、楽焼茶盌を作ったのが無名異焼の始まりと伝えられています。金銀山の鉱脈から採れるこの赤粘土は、酸化鉄を多く含み、高い収縮率と硬い焼き締まり、そして叩くと響く澄んだ金属音が特徴です。1873年には9代富太郎(初代伊藤赤水)が高温焼成に成功し、鮮やかな赤を湛えた無名異焼を確立しました。当時、茶器の最高級品とされていた中国・宜興産の紫砂壺に似た発色も、無名異焼人気の一因だったと考えられます。
ちなみに赤儘先生のご先祖は、さらに遡って1640年頃に金沢から佐渡に渡ってきたそうで、「一旗あげよう、一山当てようという欲望はあって来たんだと思う」と語ります。

京都での遊学から佐渡へ帰郷
赤儘先生は高校を卒業後、京都の大学へ進学し、そこで4年間を過ごします。「遊んでいた」と笑いますが、後の個展で何度も「京都的ですね」との声をかけられたそうで、やはり京都は日本文化の中心地ですから、自然と学生生活のなかでもその雰囲気を纏うことになったのではと振り返ります。
充実した学生生活の最中、不幸にも、四代目である父親が不慮の事故で若くして他界。赤儘先生は、父から直接指導を受ける機会のないまま工房を引き継ぐことに。「明日からどうやって食べていくのか…」という切実な状況の中、工房で働く方々や家族に貢献しなければという強い使命感に駆られます。
故郷に戻った先生を待っていたのは、当時観光土産として人気を博していた無名異焼の工房。工房経営者の道と工芸作家の道で迷った末、ついに作家の道に進むことを決意し、本格的な作陶に打ち込むこととなります。「どこにもないもの」を作りたいと決心した先生は、「個性的な作品を作る上で何がプラスになるか」と考えた結果、全国でも希少な無名異という素材を使うことが、より個性的な表現につながると確信したそうです。

不良品を逆手に取った、窯変(ようへん)シリーズ
無名異焼はもともと「赤」色が特徴的な焼き物として作られていますが、焼成中に薪の炎が当たると、還元作用により黒く変色する部分が生まれます。当時これは不良品とされていました。しかし、あるとき「これを逆手に取ったらどうか」と考え、意図的に赤と黒のコントラストを生み出す「無名異窯変(むみょうい・ようへん)」という技法を生み出しました。
窯変の最大の特徴は、炎が器肌に直接触れて生まれる黒い模様と赤土のコントラストにあります。その時々で、作品に対して炎がどのように当たるかによって表情が変わるため、まさに「唯一無二」の仕上がりに。先生はこの偶然性を「ゆらぎ」と呼び、自然の造形美として作品に昇華させました。炎をコントロールすることの難しさを、「炎は僕の言うことを聞いてくれない。焼く度に違う」「奥さんと一緒だ」とユーモアを交えて語っておられます。
継承とは、同じことをしないこと
赤儘先生は、「継承を下手に使うとコピーになってしまう」という考えから、それぞれの世代が自分の道を歩むことの大切さを説きます。息子である六代目に対しても、「僕と同じことをやっちゃダメ。自分なりの考えで、自分なりの物を作らんと勝負にならない」と教えているそう。「倅には、こうあるべきじゃないのかというのは全然言わない。倅は倅の人生、作家生活がある」と語る先生。自分自身が苦しみながら道を切り開いてきたからこそ、次世代にも自分で答えを見つけてほしいと願っています。
信念は、自分に対してわがままであること
「先生ご自身の信念は何でしょうか?」―この問いに対し、「自分に対してわがままだったということ」との答え。やりたいことをやる、表現したいことをする。「作品は作品として評価されるべきであり、作家の生きざまで作品の価値が変わるべきではない」と考える先生。「結果論として振り返れば、あの時投資していたらもっと儲かったかもしれない。でもそういうことはしなかった」 世界の人々に、自分の作品を通じて「佐渡島」という名前を知ってもらうことが、先生にとって大きな喜びです。自分に正直に生きてきたことへの後悔はありません。先生の作品の根底には、佐渡という土地への愛着と誇りが確かに流れています。
「均質」に偏りがちな工芸にあって、偶然の美を積極的に受け入れる姿勢が革新的な伊藤赤儘先生。今日も、思い通りにいかない炎との対話が、唯一無二の作品を生み出します。先生の作品から、ぜひ佐渡の大地の力と、作家の揺るぎない信念を感じ取っていただければ幸いです。

















