

佐賀県唐津。豊かな山海と朝鮮半島に向き合うこの地で、「唐津焼」は約430年前、安土桃山時代にその歴史を開きました。大陸から渡来した陶工たちや、豊臣秀吉の朝鮮出兵を契機にもたらされた技術は、桃山の茶の湯文化とともに、素朴で力強い焼き物を生み出していきます。
その唐津の地で約430年にわたり窯の火を絶やさず受け継いできたのが、中里家です。記録によれば、初代が窯を築いたのは1596年頃。以来、唐津藩に献上する「献上唐津」を代々手がけ、唐津焼の中核を担ってきました。
しかし、その長い歴史の過程で、桃山時代の唐津焼の技法はいったん失われます。それを昭和に入り復元したのが、十二代 中里太郎右衛門です。膨大な研究と試行錯誤を重ね、桃山唐津の姿を現代に蘇らせた功績により、人間国宝として認められました。
その流れを受け継ぎつつ、新しい唐津の表現を切り拓いているのが、当代・十四代 中里太郎右衛門です。
「伝承は、昔ながらの姿をそのまま守り継いでいくこと。でも、伝統は、時代に即した新しいものを取り入れながら続いていく営みだと思うんです」
そう語る十四代は、美術大学および大学院で彫刻を学んだのち、28歳で唐津へ戻りました。以来、40年近くにわたり作陶を続けながら、一貫して「歴史に存在しなかった唐津焼」を生み出すことに挑み続けています。
多くの作家が桃山唐津の再現を理想とするなかで、中里家の歩みは少し異なります。十二代が桃山の技法を掘り起こし、十三代・十四代はそこからさらに一歩踏み出し、「過去にない表現」を模索してきました。伝統に寄り添いながらも、同時にそれを更新していく——その姿勢こそが、中里家の唐津焼の大きな特徴です。
十四代の創作は、器づくりにとどまりません。長年の作陶の傍らで関心を深めてきたのが、「空間をつくる」という行為です。
中里家の敷地には、かつて献上唐津を焼いた約300年の歴史をもつ登り窯が残されています。由緒ある窯にちなみ、「お茶碗窯」の名を冠してリノベーションされたのが、現在の「お茶碗窯記念館」です。祖父母や父が暮らし、十四代自身も生まれ育った古い家屋を活かしながら、和の趣と現代性が響き合う和モダンな空間として再生させました。
ここでは、ただ作品をガラスケース越しに眺めるだけではなく、唐津の器で実際に食事を楽しむことができます。料理人を招き、唐津の食材を用いた料理を古い唐津の器に盛り付けて味わっていただく——器が本来持つ「使われる喜び」を、空間全体で体験できる場です。
十四代が描く構想は、器の枠を超えて広がります。広大な敷地には記念館のほか、陳列所、茶室、工房、藩窯時代の仕事場など、さまざまな施設が点在しています。十四代は、庭木一本の選定から竹垣の意匠、植栽のバランスに至るまで自ら目を配り、「日々散歩しながら、風景そのものをデザインしている」と語ります。
この一帯を「お茶碗窯芸術郷」として、回遊できる屋根のない美術館のような場所へと育てていく——それが十四代の夢です。唐津から日本へ、そして世界へ。日本の伝統工芸を、器のかたちだけにとどめず、空間と時間の体験へとひろげていく。十四代 中里太郎右衛門の唐津焼は、その大きな夢の、確かな一片を担っています。










