第7回「なぜ Nakaya は "グレイル(到達点)" と呼ばれるのか」

第7回

なぜ Nakaya は "グレイル" と呼ばれるのか

万年筆を愛する人々の世界には、ひとつの特別な言葉がある。

「グレイル(grail)」──究極の到達点。人生をかけて追い求める、まさに「一生もの」。

海外コレクターたちは、この言葉を実によく使う。「ついに自分のグレイルを手に入れた」「これは何年も欲しかったグレイルだ。ペンが持ち主を選ぶ、というやつだ。」「私が今あなたのグレイル」という具合に。

興味深いことに、このグレイルとして繰り返し名前が挙がるのが日本の工房である。中屋(Nakaya)、ナミキ(Namiki)、パイロットのカスタム・ウルシ。一般名詞としての「漆ペン」ではなく、特定の工房の特定のモデルの固有名が、憧れとなっている。


「グレイル」とは何か

グレイルは、最後の晩餐でイエス・キリストの用いた聖杯(grail)が語源となっている。まさに「一生もの」である。その感覚を見事に言い当てているコメントを紹介しよう。「不思議だけど、ただただ"分かる"瞬間がある。調べもせず、レビューも読まず、懐事情も考えず。一目惚れというか、ペンが持ち主を選ぶというか。」

スペックの高さで選ばれているというよりは、「理屈抜きの憧れ」に近いかもしれない。憧れのまなざしを集めつづけた工房が、小さなメーカーという立場から「グレイルを作る圧倒的な存在」へと昇格する。

鹿児島・桜島火山モチーフの漆ペンを特注した人は「婚約と、鹿児島での最初のマイホーム購入を記念して、どうしても作りたかった一本」だという。またある人は、医師国家試験の合格を記念して注文した。彼らにとって、グレイルは単なる高品質な道具ではなく、「人生の節目に、自らに与える勲章」ということだろう。

作り手がブランドになるとき

ひとつの工房はいかにしてグレイルになるのか。コメントを追っていくと、いくつかの条件が見えてくる。

第一に、作品が体系として認識されていること。あるコレクターは「中屋は様々な色と形の漆の専門家だ。安いモデルでも豊かな色を持ち、価格が上がると decapod や dorsal fin のモデルがあり、希少な漆や maki-e のカスタムではさらに高くなる」と表現する。エントリーから頂点まで登っていける階梯があるのだ。一本買って終わりではなく、モデルを掘り下げる愉しみを味わいながら、工房と長く付き合うことを選ぶ。

第二に、オーダーメイドの文化があること。「あなたは maki-e(蒔絵) でペンをカスタマイズしてくれるの? raden(螺鈿) が何かは知らないけど。注文できるサイトはある?」という素朴な問いがいくつも見つかる。自分のための一本を作り手と対話しながら作る、この関係性そのものが工房への愛着を育てる。

第三に、二次流通市場が存在すること。ある人は、1940年代に作られたと思しき漆の万年筆が、オークションで約200万円で落札されるのを見ていた。「これだけの年月を経て、漆の仕事が見事な状態を保っている」。作り手の仕事が世代を超えて価値を持ち続け、それを市場が証明している。

固有名を持つということ

グレイルもまた、概念ではなく「固有名」を持っている。

「漆のペン(urushi pen)」という一般名詞(注、これが成立している自体素晴らしいことだ)は、概念として消費されうる。しかし「中屋のネオスタンダード」「ナミキの蒔絵」は消費されない。なぜなら、それは特定の工房の、特定の職人の手による、代替のきかない一本だからだ。代替不可能性こそが憧れの源泉になる。

これは、日本の工芸全体にとってひとつの希望だ。多くの工芸が、海外では「japanese pottery」「japanese textile」という一般名詞のなかに埋没しがちである。しかし漆の万年筆は、複数の工房が固有の名称で憧れられる段階に達した。一般名詞から固有名詞へ。それは概念消費の対極にある到達点だ。

グレイルは作られる

最後にひとつ付け加えたい。グレイルは自然に生まれるのではない。

中屋がグレイルになるまでには長い時間がかかっている。作品ラインナップを整え、オーダーメイドに応え、海外のメディアに取り上げられ、コミュニティのなかで何度も名前が呼ばれ、二次流通で価値が証明される。その積み重ねの果てに「グレイル」の称号が与えられる。

つまり、グレイルは意図的に育てられたものでもある。才能だけでも、伝統だけでもグレイルにはなれない。その名を、長い時間をかけて世界にとどろかせていった先に現れるのだ。

次回予告(第8回)

「壊れた器を金で継ぐ」

「概念」として扱った金継ぎを、改めて「実際の修復の技術」という観点で紹介する。作り手の手のなかで、壊れたものがどう生まれ変わるのか。