桃山陶芸のなかでも、東アジア陶磁史を俯瞰するような群を抜いたスケールの大きさが魅力の唐津焼。そのなかで420年以上にわたり献上唐津の伝統を継承してきた名門、中里家。十四代 中里太郎右衛門先生は、自然と調和する「土」「炎」「釉」の生命を作品に映し出す現代唐津の旗手です。
十四代 中里太郎右衛門先生の作品の特徴
「掻き落とし」とは、生乾きの素地の上に黒土を塗り、一部を削って文様を描き、 白と黒のコントラストによって造形の陰影を際立たせる技法のこと。「唐津白地黒掻落し葉文皿」では、工房に生息しているシロダモの葉を掻き落としで描き、無彩色でありながら葉の色まで浮かび上がるような生命感を宿します。「叩き朝鮮唐津耳付花入」に用いられている「叩き」技法は、紐状の土を輪積みにして外側から叩き締めるため、「土を叩くときの気持ちがそのまま形になる」といわれるように、まさに“心技一如”の境地が伝わってくることでしょう。
また、掻き落としや叩きに加えて、「粉引(陶土に白い泥をかけ、その上から釉薬をかけて焼成する技法)」といった技法も駆使し、唐津の土に現代の息吹を吹き込んでいます。
十四代 中里太郎右衛門先生からメッセージ
中国古典に基づいた「掻き落とし」に加え、叩き、朝鮮唐津、粉引等の作風を展開しており、井戸茶碗には特に強い拘りを持って取り組んでいます。
唐津焼のリーダーとして後進育成や地域文化貢献にも尽力しています。
作品ラインアップ
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唐津焼・古唐津とは
唐津焼は、桃山時代の茶の湯文化とともに隆盛した、日本を代表する陶芸の一つです。 ルーツを朝鮮陶磁に持ち、日本での起源は、茶の湯を重視した豊臣政権下の1580年代に波多氏が唐津に開窯したことにはじまります。そこで生まれたのが藁灰釉(わらばいゆう)という白い釉薬を用いた「朝鮮唐津」「斑唐津(まだらからつ)」でした。素朴な土味と枇杷色(びわいろ)、朽葉色(くちばいろ)などの釉色が戦国大名や茶人に愛され、近現代の実業家や文筆家に深く愛されてきました。
波多氏失脚後は鍋島藩の朝鮮陶工も加わり、より広い地域で生産されるようになります。シルエットに朝鮮陶磁を、絵柄には桃山陶芸の感性を反映させた止揚を感じさせる作品もあり、唐津焼の魅力は、豪放さと穏やかさ、躍動感と静謐さなどの、対極的な要素を見事に共存させているところともいえるでしょう。民藝運動の提唱者・柳宗悦も求めたといわれています。
唐津焼の鑑賞ポイント
一、不定形の美
茶陶として発展した唐津焼。茶陶らしい鑑賞ポイントはズバリ”不定形”。『方丈記』の冒頭には「行く川のながれは絶えずして、しかももとの水にあらず…」と語られていますが、唐津焼の釉薬は”流れ落ちる一瞬”、焼成時そのままの姿を留めます。これが「はかないものに永遠の姿を与える」と解釈され、日本人に慕われ愛されるゆえんです。完璧でない、揺れ、垂れ、流れるという不定形のたたずまいをお楽しみください。
二、シルエットの時代的スケール
唐津焼のなかでも特に「絵唐津」は、朝鮮陶磁というルーツと桃山陶芸の志野・織部などとの同時代性を色濃くあらわしていると言われますが、それに加え、シルエットに東アジアの陶磁史を感じさせるようなスケール感の大きさがみられます。たとえば、大皿や天目(てんもく)形・碗形(わんなり)・筒形(つつなり)などの形状があげられます。
天目とはお茶を飲むためのうつわを指します。名の由来は中国浙江省の「天目山」で、仏教信仰の中心地のひとつであり茶の名産地としても知られます。
椀形は、ご飯茶碗や抹茶碗によく見られる最もオーソドックスな形で、高麗茶碗の一種、呉器(ごき)や彫三島(ほりみしま)などの茶碗が代表的です。
筒形は、黄瀬戸・瀬戸黒や楽茶碗、志野など半筒形の茶椀によく見られる形です。
三、用の美 ――「作り手8分、使い手2分」
唐津焼には「つくり手が8割つくり、残り2割は使い手にゆだねることで10割になる」という哲学があります。唐津焼の表面に存在する亀裂(貫入)に、水分や茶渋などがしみ込むため、使えば使うほど表情が変わる様子が「残りの2割は使い手が育てる」というわけです。使い手の生きざまが経年変化としてうつわに投影され、使えば使うほど愛着のわく作品となっていくことでしょう。
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参考リンク:鑑賞ナビ/佐賀の三右衛門
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