奥村 公規 先生からのメッセージ
4C、7C、13C、15C、17Cの金工品の復元を通じ 古代より受け継がれた技術を現代に活かし作品作りをしています。お客様に金工を身近に感じて頂ければとの思いで 技法の違いが解りやすい作品を選びました。
金工作家 奥村 公規 先生について (重要無形文化財「彫金」保持者)
奥村公規先生 インタビュー
——金工作家を目指されたきっかけを教えてください。
小学校高学年の頃、仲の良い友人が3人いて、よく一緒に刀を見て回っていました。いわゆる「刀装具、刀の装飾金具」に強く惹かれるようになり、お小遣いをためては少しずつ買い集めていました。刀装具を入口として「金工」という世界を知ったことが、出発点だったと思います。
とはいえ、小遣いで買えるものには限りがあります。そこで手元にあるものをもとにして、何とか自分たちで刀を作れないかと皆で相談し、いろいろと工夫していました。仲間のうち2人は、中学入学のお祝いに本物の刀を買ってもらい、私も高校生のときにお祝いとして一本買ってもらいましたが、そこに至るまでは「本物」に触れることはできませんでした。
そんな中、器用な友人が一人いましてね……刀の柄(にぎり)の部分には「目貫(めぬき)」という金属の部品が入っています。本来は二つで一組ですが、片方だけであれば比較的安く手に入る。その目貫の片割れを、私の父が仕事の関係でいくつか持っていましてね。友人に「家に、こういうものがある」と話したところ、「それを型に取って鉛で作ってみよう」と。どの図柄にするか皆で相談し、一つを選んで粘土で型を取り、鉛を流し込み、出来上がったものにペンキで彩色する――そんなふうにして遊んでいたのです。最終的には、「やはり本物にはかなわない」「これはあくまで玩具であり、模造品だ」となりましたが(笑)。
そうした試行錯誤の過程そのものが、金工の世界へ引き寄せられていくきっかけになったのだと思います。
金工の道に進もうと決め、大学へ進学したとき、「自分の考えたデザインを形にするのであれば、その“ボディ”を自分の手で作りたい」と考えました。そのためには、金属を叩いて成形する「鍛金(たんきん)」という技術が不可欠です。
大学入学後、鍛金を学ぼうとしたものの、なかなか良い指導者に恵まれませんでした。そんな折、展覧会でひときわ印象的な作品に出会い、その作者である先生に思い切って連絡を差し上げました。事情をお話ししたところ、「一度遊びにいらっしゃい」と仰ってくださり、それをきっかけに先生のお宅へ通うようになり、本格的にこの道へと入っていったという経緯があります。金属の動き方を体で覚え、作品へと昇華していくための基礎的な技術です。これをしっかりとマスターしなければならないと考え、まずは鍛金を徹底的に学びました。
—— 作品によく用いる技法は。
「鍛金」「彫金」両方を用いて制作しています。
もともと彫金という仕事は、漆の世界でいう「蒔絵(まきえ)師」のような立場です。誰かが作ったボディの上に加飾を施していく。つまり、ボディそのものは別の誰かに作ってもらう必要があります。そのボディを生み出す技術が鍛金です。
鍛金で作り上げたボディに加飾を施していくのが「彫金(ちょうきん)」です。彫金は、金工の中でも表面を彫り、象嵌(ぞうがん)し、装飾していくパートにあたります。彫金の技術も、大学で十分に学べたわけではありませんでした。幸い、近くに彫金を専門とする職人の方がいらっしゃったので、授業のない日、たしか毎週日曜日だったと思いますが――に通い、彫金の技術を教えていただきました。
—— 制作における「こだわり」や、作品に込めているお考えを教えてください。
刀装具の世界では、「金工の刀装具は室町時代あたりが最盛期で、それ以降は……」という話をよく耳にしていました。しかし、勉強を進めていくと日本の金工は室町以前から連綿と続いていることが分かります。平安時代にも奈良時代にも遡ることができる。さらに古い時代の作品を辿っていくうちに「こんなに古くから金工があったのか」と驚かされました。
その過程で、「古いものを十分に学ばなければ、本質的な理解には到底届かない」と痛感しました。刀をきっかけに、より古い時代の金工へと興味が広がっていったわけです。
現在は文化財の修復にも携わっています。実物を分解し、構造を確かめながら「こういう仕組みで成り立っているのか」と理解していく。そうした作業を通じて、各時代における金工技術の変遷を、机上ではなく手触りとともに学べるのは、大変ありがたいことです。
そうした経験が、今の作品づくりに確かに生きていると感じています。
—— 高価な素材を扱ううえで、失敗への不安はありませんか。
工芸にはさまざまな分野があります。たとえば木工の場合、「銘木」と呼ばれる良質な素材を選び出し、製材し、使えるサイズにカットしていきますが、実際に挽いてみるまで内部の傷や節は分かりません。木工の先生方に伺うと、そうしたリスクは常につきまとうとおっしゃいます。その点、金属は素材そのもののコストは高いものの、後から分析・回収が可能です。つまりリサイクルできる。そういう意味では、木工とは異なるかたちで「救い」のある素材といえるかもしれません。
—— 制作のテーマについて教えてください。
作品のテーマに関しては、「自然」を扱うことが多いです。宇宙、風、波、音――そうしたものをイメージしながら制作することが多く、そういったモチーフが多いです。
また、子どもの頃から昆虫が好きで、いつか、生命の動きやかたちを作品として表現したい、そんな思いを抱いていました。中でも特に興味を持っているのが「スカラベ」です。スカラベをモチーフにした装飾品や箱ものを制作しましたので、ARTerraceや、船旅のゆったりとした時間の中で、ふと目を留めていただけたら嬉しいですね。
—— 技術面における制作テーマ、醍醐味は。
鍛金や彫金の作品の場合、丁寧に研ぎ、磨き、色をつけていくと、表面はまさに「漆」のように美しく均一な色合いに仕上がります。一方で、どうしても単調な表情になりがちです。そこで、「鍛金・彫金でも、鋳造のような変化のある表面を生み出せないか」ということが、長く抱いてきたテーマでした。たとえば鋳造(ちゅうぞう)の分野では、溶かした金属を型に流して作品を作ったあと、表面にさまざまな熱処理を施すことで、多彩な表情を生み出すことができます。鍛金・彫金に携わる者として、そうした鋳造作品の表情豊かさについて、以前からとても羨ましく感じていました。
ヒントを与えてくれたのが、四分一(しぶいち)と呼ばれる銀と銅の合金です。ほかに朧銀(おぼろぎん)とも呼ばれます。配合比によって色彩を調整できることが特長です。最近の作品でも多く用いている、銅と銀から成る日本独特の合金です。一般的には銅に約四分の一の銀が含まれており、それが名の由来にもなっています。この銅と銀の割合を変えることで、金属の色味に繊細な変化をつけることができます。四分一の特徴をひと言で表せば、「グレー(灰色)の金属」です。銀の割合が多くなれば白っぽいグレーに、少なくなれば深いグレーに。一口にグレーと言っても幅があり、そのグラデーションを巧みに引き出すことで、表現の幅をぐっと広げることができると考えています。
私たちが日常目にしている「金属の色」は、実は表面に生じた錆の色です。新品の10円玉はピンク色をしていますが、使い込むうちに茶色っぽい見慣れた色に変わります。あれは空気中の酸素と結びついた銅が錆となり、その錆の皮膜を私たちが見ている状態なのです。10円玉をタバスコのような酸性の液体に浸すと、金属本来の素地の色が現れ、再びピンク色に戻ります。
四分一も同じで、酸で洗うとピンク系の色になります。最終工程で酸洗いをすると、合金中の銅が溶け出し、そこに含まれていた銀が表面に現れて、全面が銀色になります。本来の四分一のグレーに仕上げるには、この銀色の膜を完全に磨ぎ落とし、素地のピンク色を出してから色上げをする必要があります。 凸凹のある表面を磨ぐと、出っ張った頂点部分だけが磨がれ、窪んだ部分は磨がれずに残ります。四分一の場合、窪みには白っぽい銀色が残り、磨がれた部分がグレーになる。その「白」と「グレー」のコントラストをどう組み立てるか。
逆に言えば、その銀色をあえて「残す」ことで、グレーの中にもやもやと銀が浮かび上がるような表情を作れるのではないか――そう発想を転換したのが、現在取り組んでいる表面表現につながっています。かつては「磨ぎが不十分で失敗」とされた状態を、あえて逆手に取って魅力へと転じていく――その試みを重ねる中で、ようやく自分なりの表現に辿り着きつつあるのかな、と感じています。
—— 鍛金・彫金、そして独自の表現技法。常に「自分ならでは」を模索されてきたように感じます。
作品を作るたびに、「今度はこれまでと何か一つ違うことをやってみよう」と心がけてきました。ほんの小さな変化でも構いませんが、自分の中で「これは初めてだ」と思える要素を、必ず一つは取り入れるようにしています。
「これまで使わなかった素材を組み合わせてみる」「仕上げの段階であえて別の手順を試してみる」――具体的には、そういった小さな挑戦の積み重ねです。その連続の先にしか、自分だけの景色は見えてこないのではないかと考えています。
ここ数年、箱の作品を多く作っていますが、「そもそも箱は四角である必要がない。五角形でもいいのではないか」と思い至り、五角形の箱を制作しました。当初は、四角く、平らで、ごく「まっすぐな」箱を作っていましたが、次第に「少し膨らんだ、ふくよかな形も良いのではないか」と考えるようになり、2面だけ膨らませたもの、4面すべてを膨らませたものと、バリエーションを広げていきました。やがて、「膨らむだけでなく、抉られた面があってもよいのではないか」と考え、膨らんだ面と抉れた面を組み合わせた箱の形へと発展させました。それも一通り試したあと、「そもそも箱は四角である必要がない。五角形でもいいのではないか」と思い至ったのです。
近年、縄文時代に強い関心を持ち、関連する資料を読み込む中で「巨岩信仰」という考え方に出会いました。巨大な岩を神とみなし、信仰の対象とする――そのイメージが、ぼんやりと頭の片隅に残っていました。
巨岩にも実に多様な形があるように、「岩のような箱」があってもよいのではないか。そうした連想から五角形の箱に挑戦したのですが、いざ形にしようとすると予想以上に難しく、途中で「これはさすがに無理かもしれない」と思う瞬間もありました。それでも手を止めずに向き合い続けたことで、何とか作品としてまとめ上げることができた、というのが正直なところです。
—— 今後の制作活動についてのお考えをお聞かせください。
年齢を重ねる中で、若い頃のような力仕事を続けるのは難しくなっていきます。無理をせず、自身の体力と相談しながら、その時々の自分にふさわしい作品のスケールや密度を選び取っていきたい、と考えています。
ただ、どのようなかたちであれ、「少しだけ新しい何か」に挑戦し続ける姿勢だけは、これからも手放したくないですね。
—— ご自身の作品が飛鳥船上に展示されることについて、どのように感じていらっしゃいますか。
大変光栄なことだと感じています。これまで私は、日本伝統工芸展を主な発表の場としてきましたが、飛鳥Ⅱのようなクルーズ船で作品を展示していただけるということは、これまで金工作品に触れる機会のなかった方々にもご覧いただける可能性がある、ということでもあります。
その意味で、今回のお話は「金工に触れていただく新しい入口」をいただいたように感じており、心からありがたく思っています。
—— 最後に、メッセージをお願いします。
私が尊敬する江戸中期の作家が、友人に宛てて残した言葉があります。
「常に心の汚れぬよう致したく候」
この一文が、とても好きなんです。作品づくりにおいても、日々の生き方においても、いつも心のどこかに留めておきたい言葉だと感じています。




