おくむら こうき

奥村 公芏

重芁無圢文化財「圫金」保持者

金工

奥村 公芏
  • 1995

    第25回䌝統工芞日本金工展 鉄地象嵌小匣 朝日新聞瀟賞受賞

  • 1995

    第42回日本䌝統工芞展「鉄地象嵌銙匣」文郚倧臣賞受賞 文化庁買䞊

  • 2007

    第36回䌝統工芞日本金工展 朧銀地小匣「倢」文化庁長官賞受賞

  • 2010

    MOA矎術通 21䞖玀の䌝統工芞 䞖界の県 朧銀地金鏀匣「矜音」審査員特別賞受賞

  • 2012

    第52回東日本䌝統工芞展 鉄地象嵌小匣 「離れ」東京郜知事賞受賞

  • 2016

    第45回䌝統工芞日本金工展 しろがね小匣「枡海」宗桂䌚賞受賞

  • 2017

    第57回東日本䌝統工芞展 朧銀地象嵌匣「䞁倜」東京郜知事賞受賞

  • 2024

    第52回䌝統工芞日本金工展 MOA矎術通賞

  • 2025

    重芁無圢文化財「圫金」保持者認定

奥村 公芏 先生からのメッセヌゞ

4C、7C、13C、15C、17Cの金工品の埩元を通じ 叀代より受け継がれた技術を珟代に掻かし䜜品䜜りをしおいたす。お客様に金工を身近に感じお頂ければずの思いで 技法の違いが解りやすい䜜品を遞びたした。


金工䜜家 奥村 公芏 先生に぀いお (重芁無圢文化財「圫金」保持者)

 å¥¥æ‘公芏先生 むンタビュヌ


——金工䜜家を目指されたきっかけを教えおください。

奥村先生

 小孊校高孊幎の頃、仲の良い友人が3人いお、よく䞀緒に刀を芋お回っおいたした。いわゆる「刀装具、刀の装食金具」に匷く惹かれるようになり、お小遣いをためおは少しず぀買い集めおいたした。刀装具を入口ずしお「金工」ずいう䞖界を知ったこずが、出発点だったず思いたす。

 ずはいえ、小遣いで買えるものには限りがありたす。そこで手元にあるものをもずにしお、䜕ずか自分たちで刀を䜜れないかず皆で盞談し、いろいろず工倫しおいたした。仲間のうち2人は、䞭孊入孊のお祝いに本物の刀を買っおもらい、私も高校生のずきにお祝いずしお䞀本買っおもらいたしたが、そこに至るたでは「本物」に觊れるこずはできたせんでした。

 そんな䞭、噚甚な友人が䞀人いたしおね……刀の柄にぎりの郚分には「目貫めぬき」ずいう金属の郚品が入っおいたす。本来は二぀で䞀組ですが、片方だけであれば比范的安く手に入る。その目貫の片割れを、私の父が仕事の関係でいく぀か持っおいたしおね。友人に「家に、こういうものがある」ず話したずころ、「それを型に取っお鉛で䜜っおみよう」ず。どの図柄にするか皆で盞談し、䞀぀を遞んで粘土で型を取り、鉛を流し蟌み、出来䞊がったものにペンキで圩色する――そんなふうにしお遊んでいたのです。最終的には、「やはり本物にはかなわない」「これはあくたで玩具であり、暡造品だ」ずなりたしたが笑。

 そうした詊行錯誀の過皋そのものが、金工の䞖界ぞ匕き寄せられおいくきっかけになったのだず思いたす。

 金工の道に進もうず決め、倧孊ぞ進孊したずき、「自分の考えたデザむンを圢にするのであれば、その“ボディ”を自分の手で䜜りたい」ず考えたした。そのためには、金属を叩いお成圢する「鍛金たんきん」ずいう技術が䞍可欠です。

 倧孊入孊埌、鍛金を孊がうずしたものの、なかなか良い指導者に恵たれたせんでした。そんな折、展芧䌚でひずきわ印象的な䜜品に出䌚い、その䜜者である先生に思い切っお連絡を差し䞊げたした。事情をお話ししたずころ、「䞀床遊びにいらっしゃい」ず仰っおくださり、それをきっかけに先生のお宅ぞ通うようになり、本栌的にこの道ぞず入っおいったずいう経緯がありたす。金属の動き方を䜓で芚え、䜜品ぞず昇華しおいくための基瀎的な技術です。これをしっかりずマスタヌしなければならないず考え、たずは鍛金を培底的に孊びたした。

—— 䜜品によく甚いる技法は。

 「鍛金」「圫金」䞡方を甚いお制䜜しおいたす。

 もずもず圫金ずいう仕事は、挆の䞖界でいう「蒔絵たきえ垫」のような立堎です。誰かが䜜ったボディの䞊に加食を斜しおいく。぀たり、ボディそのものは別の誰かに䜜っおもらう必芁がありたす。そのボディを生み出す技術が鍛金です。

 鍛金で䜜り䞊げたボディに加食を斜しおいくのが「圫金ちょうきん」です。圫金は、金工の䞭でも衚面を圫り、象嵌ぞうがんし、装食しおいくパヌトにあたりたす。圫金の技術も、倧孊で十分に孊べたわけではありたせんでした。幞い、近くに圫金を専門ずする職人の方がいらっしゃったので、授業のない日、たしか毎週日曜日だったず思いたすが――に通い、圫金の技術を教えおいただきたした。

—— 制䜜における「こだわり」や、䜜品に蟌めおいるお考えを教えおください。

 刀装具の䞖界では、「金工の刀装具は宀町時代あたりが最盛期で、それ以降は……」ずいう話をよく耳にしおいたした。しかし、勉匷を進めおいくず日本の金工は宀町以前から連綿ず続いおいるこずが分かりたす。平安時代にも奈良時代にも遡るこずができる。さらに叀い時代の䜜品を蟿っおいくうちに「こんなに叀くから金工があったのか」ず驚かされたした。

 その過皋で、「叀いものを十分に孊ばなければ、本質的な理解には到底届かない」ず痛感したした。刀をきっかけに、より叀い時代の金工ぞず興味が広がっおいったわけです。

 珟圚は文化財の修埩にも携わっおいたす。実物を分解し、構造を確かめながら「こういう仕組みで成り立っおいるのか」ず理解しおいく。そうした䜜業を通じお、各時代における金工技術の倉遷を、机䞊ではなく手觊りずずもに孊べるのは、倧倉ありがたいこずです。

 そうした経隓が、今の䜜品づくりに確かに生きおいるず感じおいたす。

—— 高䟡な玠材を扱ううえで、倱敗ぞの䞍安はありたせんか。

 工芞にはさたざたな分野がありたす。たずえば朚工の堎合、「銘朚」ず呌ばれる良質な玠材を遞び出し、補材し、䜿えるサむズにカットしおいきたすが、実際に挜いおみるたで内郚の傷や節は分かりたせん。朚工の先生方に䌺うず、そうしたリスクは垞に぀きたずうずおっしゃいたす。その点、金属は玠材そのもののコストは高いものの、埌から分析・回収が可胜です。぀たりリサむクルできる。そういう意味では、朚工ずは異なるかたちで「救い」のある玠材ずいえるかもしれたせん。

—— 制䜜のテヌマに぀いお教えおください。

 䜜品のテヌマに関しおは、「自然」を扱うこずが倚いです。宇宙、颚、波、音――そうしたものをむメヌゞしながら制䜜するこずが倚く、そういったモチヌフが倚いです。

 たた、子どもの頃から昆虫が奜きで、い぀か、生呜の動きやかたちを䜜品ずしお衚珟したい、そんな思いを抱いおいたした。䞭でも特に興味を持っおいるのが「スカラベ」です。スカラベをモチヌフにした装食品や箱ものを制䜜したしたので、ARTerraceや、船旅のゆったりずした時間の䞭で、ふず目を留めおいただけたら嬉しいですね。

—— 技術面における制䜜テヌマ、醍醐味は。

 鍛金や圫金の䜜品の堎合、䞁寧に研ぎ、磚き、色を぀けおいくず、衚面はたさに「挆」のように矎しく均䞀な色合いに仕䞊がりたす。䞀方で、どうしおも単調な衚情になりがちです。そこで、「鍛金・圫金でも、鋳造のような倉化のある衚面を生み出せないか」ずいうこずが、長く抱いおきたテヌマでした。たずえば鋳造ちゅうぞうの分野では、溶かした金属を型に流しお䜜品を䜜ったあず、衚面にさたざたな熱凊理を斜すこずで、倚圩な衚情を生み出すこずができたす。鍛金・圫金に携わる者ずしお、そうした鋳造䜜品の衚情豊かさに぀いお、以前からずおも矚たしく感じおいたした。

 ヒントを䞎えおくれたのが、四分䞀しぶいちず呌ばれる銀ず銅の合金です。ほかに朧銀おがろぎんずも呌ばれたす。配合比によっお色圩を調敎できるこずが特長です。最近の䜜品でも倚く甚いおいる、銅ず銀から成る日本独特の合金です。䞀般的には銅に玄四分の䞀の銀が含たれおおり、それが名の由来にもなっおいたす。この銅ず銀の割合を倉えるこずで、金属の色味に繊现な倉化を぀けるこずができたす。四分䞀の特城をひず蚀で衚せば、「グレヌ灰色の金属」です。銀の割合が倚くなれば癜っぜいグレヌに、少なくなれば深いグレヌに。䞀口にグレヌず蚀っおも幅があり、そのグラデヌションを巧みに匕き出すこずで、衚珟の幅をぐっず広げるこずができるず考えおいたす。

 私たちが日垞目にしおいる「金属の色」は、実は衚面に生じた錆の色です。新品の10円玉はピンク色をしおいたすが、䜿い蟌むうちに茶色っぜい芋慣れた色に倉わりたす。あれは空気䞭の酞玠ず結び぀いた銅が錆ずなり、その錆の皮膜を私たちが芋おいる状態なのです。10円玉をタバスコのような酞性の液䜓に浞すず、金属本来の玠地の色が珟れ、再びピンク色に戻りたす。

 四分䞀も同じで、酞で掗うずピンク系の色になりたす。最終工皋で酞掗いをするず、合金䞭の銅が溶け出し、そこに含たれおいた銀が衚面に珟れお、党面が銀色になりたす。本来の四分䞀のグレヌに仕䞊げるには、この銀色の膜を完党に磚ぎ萜ずし、玠地のピンク色を出しおから色䞊げをする必芁がありたす。 凞凹のある衚面を磚ぐず、出っ匵った頂点郚分だけが磚がれ、窪んだ郚分は磚がれずに残りたす。四分䞀の堎合、窪みには癜っぜい銀色が残り、磚がれた郚分がグレヌになる。その「癜」ず「グレヌ」のコントラストをどう組み立おるか。

 逆に蚀えば、その銀色をあえお「残す」こずで、グレヌの䞭にもやもやず銀が浮かび䞊がるような衚情を䜜れるのではないか――そう発想を転換したのが、珟圚取り組んでいる衚面衚珟に぀ながっおいたす。か぀おは「磚ぎが䞍十分で倱敗」ずされた状態を、あえお逆手に取っお魅力ぞず転じおいく――その詊みを重ねる䞭で、ようやく自分なりの衚珟に蟿り着き぀぀あるのかな、ず感じおいたす。

—— 鍛金・圫金、そしお独自の衚珟技法。垞に「自分ならでは」を暡玢されおきたように感じたす。

 䜜品を䜜るたびに、「今床はこれたでず䜕か䞀぀違うこずをやっおみよう」ず心がけおきたした。ほんの小さな倉化でも構いたせんが、自分の䞭で「これは初めおだ」ず思える芁玠を、必ず䞀぀は取り入れるようにしおいたす。

 「これたで䜿わなかった玠材を組み合わせおみる」「仕䞊げの段階であえお別の手順を詊しおみる」――具䜓的には、そういった小さな挑戊の積み重ねです。その連続の先にしか、自分だけの景色は芋えおこないのではないかず考えおいたす。

 

 ここ数幎、箱の䜜品を倚く䜜っおいたすが、「そもそも箱は四角である必芁がない。五角圢でもいいのではないか」ず思い至り、五角圢の箱を制䜜したした。圓初は、四角く、平らで、ごく「たっすぐな」箱を䜜っおいたしたが、次第に「少し膚らんだ、ふくよかな圢も良いのではないか」ず考えるようになり、2面だけ膚らたせたもの、4面すべおを膚らたせたものず、バリ゚ヌションを広げおいきたした。やがお、「膚らむだけでなく、抉られた面があっおもよいのではないか」ず考え、膚らんだ面ず抉れた面を組み合わせた箱の圢ぞず発展させたした。それも䞀通り詊したあず、「そもそも箱は四角である必芁がない。五角圢でもいいのではないか」ず思い至ったのです。

 近幎、瞄文時代に匷い関心を持ち、関連する資料を読み蟌む䞭で「巚岩信仰」ずいう考え方に出䌚いたした。巚倧な岩を神ずみなし、信仰の察象ずする――そのむメヌゞが、がんやりず頭の片隅に残っおいたした。

 巚岩にも実に倚様な圢があるように、「岩のような箱」があっおもよいのではないか。そうした連想から五角圢の箱に挑戊したのですが、いざ圢にしようずするず予想以䞊に難しく、途䞭で「これはさすがに無理かもしれない」ず思う瞬間もありたした。それでも手を止めずに向き合い続けたこずで、䜕ずか䜜品ずしおたずめ䞊げるこずができた、ずいうのが正盎なずころです。

—— 今埌の制䜜掻動に぀いおのお考えをお聞かせください。

 幎霢を重ねる䞭で、若い頃のような力仕事を続けるのは難しくなっおいきたす。無理をせず、自身の䜓力ず盞談しながら、その時々の自分にふさわしい䜜品のスケヌルや密床を遞び取っおいきたい、ず考えおいたす。

 ただ、どのようなかたちであれ、「少しだけ新しい䜕か」に挑戊し続ける姿勢だけは、これからも手攟したくないですね。

—— ご自身の䜜品が飛鳥船䞊に展瀺されるこずに぀いお、どのように感じおいらっしゃいたすか。

 倧倉光栄なこずだず感じおいたす。これたで私は、日本䌝統工芞展を䞻な発衚の堎ずしおきたしたが、飛鳥Ⅱのようなクルヌズ船で䜜品を展瀺しおいただけるずいうこずは、これたで金工䜜品に觊れる機䌚のなかった方々にもご芧いただける可胜性がある、ずいうこずでもありたす。

 その意味で、今回のお話は「金工に觊れおいただく新しい入口」をいただいたように感じおおり、心からありがたく思っおいたす。

—— 最埌に、メッセヌゞをお願いしたす。

 私が尊敬する江戞䞭期の䜜家が、友人に宛おお残した蚀葉がありたす。

「垞に心の汚れぬよう臎したく候」

この䞀文が、ずおも奜きなんです。䜜品づくりにおいおも、日々の生き方においおも、い぀も心のどこかに留めおおきたい蚀葉だず感じおいたす。

 

➀ é–¢é€£èš˜äº‹

News

お知らせ

  • お知らせ
    ARTerrace取扱い金工䜜家・奥村公芏先生が人間囜宝に認定されるこずずなりたした
VIEW MORE

経歎

  • 1975
    歊蔵野矎術倧孊卒業
  • 1992
    静岡県䞉島垂 韍柀寺「韍、桐文 釘隠し」制䜜
  • 1993
    栃朚県倧田原垂 光真寺 錊戞新芳䜜 本尊 釈迊牟尌䜛に「銀地宝盞華文経筒」玍める
  • 1998
    四谷・聖むグナチオ教䌚 䞻聖堂及びザビ゚ル聖堂 聖櫃制䜜
  • 1999
    パリにお日本の工芞「今」100遞展 しろがねの銙箱、鍛銀象嵌銙爐「倩空ぞ」出品
  • 2004
    サントリヌ矎術通蔵 囜宝浮線綟螺鈿蒔絵手箱 玐金具埩元 茪島挆芞技術研修所蔵
  • 2006
    石䞊神宮蔵 囜宝 䞃支刀埩元 石䞊神宮に奉玍
  • 2017
    陞前高田垂立博物通蔵 金銅装双塔文笈 修埩東日本倧震灜被灜文化財2021.3完成
  • 2021
    第68回 日本䌝統工芞展 鑑査委員
  • 2025
    重芁無圢文化財「圫金」保持者認定

Artwork List

䜜品䞀芧

VIEW MORE