三右衛門特集〜佐賀の陶磁器文化〜

唐津焼に始まり有田焼、伊万里焼へと続く陶磁器史の中で、三右衛門の名家は大きな存在感を示しています。三右衛門がもたらした歴史的意義や技術そして三家の作品の魅力を解説します。

三右衛門「中里太郎右衛門」「酒井田柿右衛門」「今泉今右衛門」特集

 

佐賀県に伝わる「三右衛門(さんえもん)」という言葉をご存じでしょうか。

 これらは、日本を代表する陶芸の三大名家、「中里太郎右衛門」「酒井田柿右衛門」「今泉今右衛門」の総称です。 
 佐賀県の陶磁器文化は日本全体の陶磁器文化の発展に大きく寄与し日本陶芸史においても重要な役割を果たしており、唐津焼に始まり有田焼、伊万里焼へと続く陶磁器史の中で、三右衛門の名家は大きな存在感を示しています。当コラムでは、三右衛門がもたらした歴史的意義や技術、そして三家の作品の魅力を解説します。
 

唐津焼、有田焼、伊万里焼

唐津焼の起源と特色

 現在まで残る佐賀県の陶磁器の中で、最も古くから生産されているのは唐津焼です。諸説ありますが、1580年代頃、岸岳城を治めていた波多氏が窯を築いたことが起源とされています。のちに豊臣秀吉による朝鮮出兵の際に渡来した陶工たちの技術が加わり、素朴なデザインや土の質感を活かした唐津焼の美しさは、「侘び」の象徴として茶人に広く好まれました。

有田焼と伊万里焼の誕生

 17世紀初頭、有田町でガラス質を多く含んだ原料(陶石)が発見されたことを契機に、佐賀の陶磁器文化は新たな時代を迎えます。この発見によって、日本で初めて磁器の生産が可能となり、有田焼の歴史が始まりました。
 有田で焼かれた磁器は、伊万里港から出荷されたことから伊万里焼と呼ばれていましたが、19世紀に鉄道が開通すると、有田産の「有田焼」、伊万里産の「伊万里焼」と、産地名で呼ばれるようになりました。 有田・伊万里焼の特徴は、白く艷やかで堅牢な素地と、染付色絵、金襴手、青磁などの装飾技法にあります。その鮮やかさはヨーロッパの王侯貴族に愛され、現在も国内外で非常に高い評価を得ています。
 
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佐賀の三右衛門

 多くの窯元の存在する佐賀県では、各窯元ごとに伝統的な技法が発展してきました。
なかでも名を馳せたのが「佐賀の三右衛門」で、江戸時代から代々襲名し、独自の伝統的技法を現代まで継承してきました。

中里太郎右衛門家

 中里家は、素朴な風合いと実用性を重視した「朝鮮唐津」で知られています。 江戸時代には佐賀藩による窯元の統制により唐津焼の生産が減少しましたが、人間国宝・十二代中里太郎右衛門がその技術を復元し、再興に尽力しました。中里家の作品は土の質感を活かし、質実剛健な作風が特徴で、日常使いに適した器として多くの人に愛されています。 当代、十四代 中里太郎右衛門 先生は、中国古典に基づいた「掻き落とし」に加え、叩き、朝鮮唐津、粉引等の作風を展開しています。
 
〈十四代 中里太郎右衛門 作品紹介〉
 
 
 
 
唐津黒斑茶盌,絵唐津茶盌,叩き朝鮮唐津耳付花入,唐津白地黒掻落し杯
 

酒井田柿右衛門家

 初代柿右衛門は、17世紀に日本で初めて本格的な「色絵」技法を確立したと言われています。色絵という表現方法を得て有田の磁器生産はさらに発展、1650年代末にはオランダ東インド会社によって欧州輸出が始まりました。なかでも最高級品として扱われたのが、17世紀後半に流行した柿右衛門様式です。 
 17~18世紀の欧州では、はるか東洋から運ばれてきた磁器は「白き黄金」と呼ばれ、欧州各地の王侯貴族がこぞって購入し宮殿を飾るためだけでなく日々の食事でも用いていました。東インド会社は上質な磁器を求め厳しい注文を繰り返し、その要求に応えるように誕生したのが、色絵の細部までこだわった柿右衛門様式です。
 「濁手」と呼ばれる柔らかく温かみのある乳白色の素地に、繊細な色絵を施したものが典型的な柿右衛門様式です。この技法は、素地の美しさを引き立てる余白を活かしたデザインが特徴で、優雅で上品な風合いが多くの人々を魅了しました。特にオランダと英国両国の貴族の城館には今でも無数の柿右衛門が伝来しています。
 十五代 酒井田柿右衛門先生は、昔ながらの技術や意匠を受け継ぎつつ、時代に則した柿右衛門の作風を創造しています。
 
〈十五代 酒井田柿右衛門 作品紹介〉
 
 
濁手 苺文 花瓶  濁手 団栗文 ぐい吞み

今泉 今右衛門家

 今泉家は、「色鍋島」と呼ばれる色絵磁器を追求しており、江戸時代には、肥前鍋島藩で最も技術面で優れているとされ、鍋島藩の御用赤絵(=色絵)師に任命されていました(江戸中期の多久家古文書によると、今右衛門家の技術の優秀さを「本朝無類」の色絵と認めていることが書き記されています)。今右衛門家は、市場に出回らない献上品・贈答品・城内用品の磁器の色絵付を行っていました。その調合・技術に際しては一子相伝の秘法として保護されました。
 色鍋島は柞灰釉による青みのある釉薬に特徴があります。今右衛門窯では、さらに染付の青、上絵の赤、黄、緑により、色鍋島特有の草花文様を描いています。
 
 当代、十四代 今泉今右衛門 先生は、江戸期・色鍋島の伝統を継承し、「墨はじき」「薄墨(吹墨)」「プラチナ彩」などの技法で制作されています。特に繊細な白の雪花墨はじきや「プラチナ彩」という金属表現は当代のオリジナル技法であり、現代色鍋島の風格を高めています。
 
〈十四代 今泉今右衛門 作品紹介〉
 
 
色絵吹墨墨はじき秋草文碗皿  色絵薄墨墨はじき秋草文碗皿  色絵雪花墨はじき雪文碗  色絵薄墨墨はじき雪文碗

 ところで、日本人は「三」が好きです。「日本三景」「三大祭り」にはじまり「三種の神器」「三度目の正直」…、日本には「三」のつく言葉が多くあります。一説によると、日本に古くからある陰陽思想の影響といわれています。陰陽思想の中で「三」は調和を示すバランスの良い数字とされており、縁起の良い数字として定着したと考えられています。確かに、「一」が物事の「始まり」とともに「孤立」を表し、「二」が2つの異なるものの「統合」を表す一方「対立」もイメージさせかねないのに対して、数字の「三」は「調和」、「安定」のイメージがあります。日本人にはバランス感覚を大切にするDNAが脈々と受け継がれているのかもしれません。