中里太郎右衛門家
中里家は、素朴な風合いと実用性を重視した「朝鮮唐津」で知られています。 江戸時代には佐賀藩による窯元の統制により唐津焼の生産が減少しましたが、人間国宝・十二代中里太郎右衛門がその技術を復元し、再興に尽力しました。中里家の作品は土の質感を活かし、質実剛健な作風が特徴で、日常使いに適した器として多くの人に愛されています。 当代、十四代 中里太郎右衛門 先生は、中国古典に基づいた「掻き落とし」に加え、叩き、朝鮮唐津、粉引等の作風を展開しています。
〈十四代 中里太郎右衛門 作品紹介〉
酒井田柿右衛門家
初代柿右衛門は、17世紀に日本で初めて本格的な「色絵」技法を確立したと言われています。色絵という表現方法を得て有田の磁器生産はさらに発展、1650年代末にはオランダ東インド会社によって欧州輸出が始まりました。なかでも最高級品として扱われたのが、17世紀後半に流行した柿右衛門様式です。
17~18世紀の欧州では、はるか東洋から運ばれてきた磁器は「白き黄金」と呼ばれ、欧州各地の王侯貴族がこぞって購入し宮殿を飾るためだけでなく日々の食事でも用いていました。東インド会社は上質な磁器を求め厳しい注文を繰り返し、その要求に応えるように誕生したのが、色絵の細部までこだわった柿右衛門様式です。
「濁手」と呼ばれる柔らかく温かみのある乳白色の素地に、繊細な色絵を施したものが典型的な柿右衛門様式です。この技法は、素地の美しさを引き立てる余白を活かしたデザインが特徴で、優雅で上品な風合いが多くの人々を魅了しました。特にオランダと英国両国の貴族の城館には今でも無数の柿右衛門が伝来しています。
十五代 酒井田柿右衛門先生は、昔ながらの技術や意匠を受け継ぎつつ、時代に則した柿右衛門の作風を創造しています。
〈十五代 酒井田柿右衛門 作品紹介〉
今泉 今右衛門家
今泉家は、「色鍋島」と呼ばれる色絵磁器を追求しており、江戸時代には、肥前鍋島藩で最も技術面で優れているとされ、鍋島藩の御用赤絵(=色絵)師に任命されていました(江戸中期の多久家古文書によると、今右衛門家の技術の優秀さを「本朝無類」の色絵と認めていることが書き記されています)。今右衛門家は、市場に出回らない献上品・贈答品・城内用品の磁器の色絵付を行っていました。その調合・技術に際しては一子相伝の秘法として保護されました。
色鍋島は柞灰釉による青みのある釉薬に特徴があります。今右衛門窯では、さらに染付の青、上絵の赤、黄、緑により、色鍋島特有の草花文様を描いています。
当代、十四代 今泉今右衛門 先生は、江戸期・色鍋島の伝統を継承し、「墨はじき」「薄墨(吹墨)」「プラチナ彩」などの技法で制作されています。特に繊細な白の雪花墨はじきや「プラチナ彩」という金属表現は当代のオリジナル技法であり、現代色鍋島の風格を高めています。
〈十四代 今泉今右衛門 作品紹介〉
ところで、日本人は「三」が好きです。「日本三景」「三大祭り」にはじまり「三種の神器」「三度目の正直」…、日本には「三」のつく言葉が多くあります。一説によると、日本に古くからある陰陽思想の影響といわれています。陰陽思想の中で「三」は調和を示すバランスの良い数字とされており、縁起の良い数字として定着したと考えられています。確かに、「一」が物事の「始まり」とともに「孤立」を表し、「二」が2つの異なるものの「統合」を表す一方「対立」もイメージさせかねないのに対して、数字の「三」は「調和」、「安定」のイメージがあります。日本人にはバランス感覚を大切にするDNAが脈々と受け継がれているのかもしれません。