山岸 一男 先生からのメッセージ
私は個展などでは沈金、漆象嵌、厚貝螺鈿の三本立で発表します。三技法で調和を取れた作品を目標としています。漆に関心を持ってもらうことを願って子供たちに語りかけてゆきたいとも思っています。
身近なところで、手の温もりのある工芸作品があってほしいと切に願っています。
漆芸家 山岸 一男 先生について (重要無形文化財「沈金」保持者)
出典:「National Crafts Museum 国立工芸館」公式YouTube/山岸一男《沈黒象嵌合子 能登残照》2016年
出典:「世界に誇る物語ちゃんねる」公式YouTube/彫りを彩る「人間国宝(沈金)山岸 一男 先生」編
山岸一男先生は、石川県輪島市を活動拠点とする漆芸作家です。漆器の表面を彫り金粉や金箔を埋め込む伝統技法「沈金(ちんきん)」の人間国宝に認定されています。
生まれ育った輪島は、室町期から漆の仕事が営まれてきた土地。珪藻土を焼いて粉にした「地の粉」を漆に混ぜて下地とする独自の技法が生まれ、加賀藩の庇護と北前船の航路に支えられながら、やがて日本を代表する漆芸の産地として発展します。
「職業に迷ったことは一度もない」
高校卒業と同時に沈金の世界に飛び込み「職業に迷ったことは一度もない」と語る山岸先生。文化祭で間近に見た、黒い漆面に刃物で文字を彫りそこに金を沈めていく沈金の実演が進路を決定づけました。「手品を見ているようだった」と振り返るその驚きと感動は、そのまま現在の創作の原点となっています。
修業時代の輪島は、まさに漆器産業の最盛期。「早く、美しく、数を揃える」ことが職人の理想とされた時代に、研修場で沈金だけでなく、塗りやデザインも徹底的に学びました。二十代前半には日本伝統工芸展へ出品を始め、漆分野では最年少と言われる若さで作家としての歩みをスタートさせます。
やがて山岸先生は、沈金の技に加えて、塗り(髹漆)と図案を改めて学び直し、表現の幅を大きく広げていきます。刃物で彫った線に金や銀を埋めて研ぎ出す「金・銀象嵌」、さらに色漆を用いてグラデーションをつける「漆象嵌」、厚みのある白蝶貝・黒蝶貝・夜光貝などをレリーフ状に削ってはめ込む厚貝螺鈿。いずれも、地の粉下地を幾重にも塗り重ねた輪島塗ならではの堅牢な素地があるからこそ成立する仕事です。
表現の核は「自然」と「季節」
散歩の途中に感じる風の変化、山が「笑う」と形容される早春の山肌、季節によって色を変える海の表情。そうした移ろいを、山岸先生は赤・緑・紫などの色漆、漆黒の艶やかさ、そして金・プラチナ・貝の輝きに託してきました。ある年は「赤」、ある年は「緑」と、一年ごとにテーマカラーを決めて制作に臨んだこともあるといいます。
万博の輪島塗大型地球儀「夜の地球 Earth at Night」を手掛ける
長年にわたる作品制作と同時に、山岸先生は「漆の魅力を、次世代にどのように手渡すか」という問いにも向き合ってきました。
なかでも「産地全体の技術を示す仕事」と位置づけていらっしゃるのが、大阪・関西万博に出展されていた輪島塗大型地球儀「夜の地球 Earth at Night」。これは、山岸先生率いる輪島塗技術保存会と各分野の職人36名による共同制作で完成させたものです。「沈金だけではなく、生地を作る人、塗りをする人、すべての職人の思いを伝えることが、今の自分の役目」というコメントに、輪島の歴史を背負う覚悟がにじみます。
日常の中で漆に触れてもらえたら
一方で、山岸先生が何より大切にしているのは“漆を特別視しすぎないこと”。「決して緊張して使うものではなく、普段使いの器としてこそ、漆は生きる」と語ります。ご飯をよそう椀や汁椀、お箸、子どもたちとおやつを囲むときのお皿やお盆など、日常の中で漆の器に触れてほしい――それが先生の願い。“ペットボトルのお茶”があたりまえになり、湯のみや茶托が使われる場面が減り、床の間や畳の部屋も失われつつある現代だからこそ、暮らしの中に一つでも漆を迎え入れることが、「文化をつなぐ」という行為になるのかもしれません。
輪島の土壌に根ざし、自然の移ろいを五感で受け止め、漆という素材を通して自然と四季の記憶をかたちにしてきた山岸一男先生。沈金の細やかな線と、漆黒に浮かぶ光の階調から、ぜひじっくりと先生の「生きざま」を感じとっていただければ幸いです。

